| ●富田 誠(インタラクションデザイン)
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| 三井不動産
グランディオーソクラブ
タッチインタラクション環境制作 |
みなさんはどのようにコンピューターを利用しているでょうか。コンピューターは一般的に机の上にあって、ビジネスや勉強のために、自宅では調べものなどに利用することが多いのではないでしょうか。そもそもパーソナルコンピューターは個人に指向し、生産性や合理性の向上を目的として発展してきました。そこで私は机の上ではなく様々な環境に存在するコンピューターの形を考えています。つまり「環境」の視点からコンピューターを思索することです。例えば公共空間においてコンピューターはいかに機能することができるのか。
池村明生氏の提唱する「プラスアート」は、空間を作る事業主や設計者に積極的に関わることで、建築やランドスケープがめざす空間作りを“アートがサポート”するというものです。その試みはインタラクティブな環境を設計する上で重要な方法を示します。表参道ヒルズの壁面は
コンピューターで制御された巨大なLEDパネルにより様々な表情を見せます。普段は歩道を通る人の足のシルエットを描き出し、ワールドカップ開催時は青く輝きます。景色をととのえたり、共感をうながしたりと、まるで「人」のように周りの環境を受容し表現する可能性を持っています。
つまり、個人の趣向や生産を高めるコンピューターから、環境や建築の一つの要素としてのコンピューターに発展することができないか。これは、榮久庵憲司氏の言う「道具の空間化」「空間の道具化」にも繋がることであると考えています。
しかし、公共であるがゆえ、やみくもにディスプレイやセンシングを利用し、インタラクティブな環境を持つことは慎重になる必要があると考えます。それは「人」に対し動的な働きかけをするためです。喧噪を増し静寂を壊していないか。慎ましさや思慮深さを兼ね備えているか。さらに、安全に、簡単に、美しくあること。そして何より、子供やお年寄りが微笑ましく利用できるか。
本学会では、みなさまの社会性や公共性に関する知、芸術に対する思索を学び、新しいインタラクティブな環境形成を目指し、学業と事業の両業をもって一つ一つ、社会に貢献したい所存です。よろしくお願い申し上げます
●伴 翼(彫刻/専門学校講師)
「アトリエより」
北海道に戻ってから、4年経った。彫刻半分、居場所作り半分で、あっという間に過ぎてった。札幌と人里離れたアトリエへと行き来する生活も変わらず、である。制作場所は、自然と隣り合わせの田舎のアトリエ。大分ガタが来ているのが、まだ何とかもっている。雨漏りや隙間から入る風が内と外との境を感じさせない。窓の隙間からは、落ち葉も雪も積もる。自然の環境と共にあるアトリエである。札幌から市街を抜け、町並みがだんだんと変わってくる。家が徐々にまばらになり、緑の景色と大型トラックが目につくようになる。景色が変わるにつれ、いつもと違う生活に入ってゆく。
アトリエでは季節を肌で感じ、そこで湧き上がるイメージが作品の根幹に響いてくる。草木や石ころ、虫や鳥、海や海岸に流れ着いたモノをよく目にする。自然の中で常に変化を続けた強い形が、あたかも言い切られたように自分の中に落ちてゆく。いろんな形や色や要素がそこら中にあるからだ。自分を取り巻く環境の影響は大きい。けれど、大きい分だけ自分で咀嚼することを忘れないよう心がけをしている。そうしないと、モノとしての魅力や素材そのものだけの興味で満足してしまうきがする。作品を通じて、次の変化を期待しなくなってしまいそうだからだ。惹かれるものに囲まれる中で、作品のイメージ、メッセージは直接その反応を受けるものでないと思ようになった。そんな制作途中で気づき後悔しながら進めたこともしばしばあった。そんなときは、野山や海に行き、長い時間サボることも多い。アトリエに帰って満足感に襲われ、よい一日で終わってしまう。サボることにも不思議なバランスがあるみたいだ。
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タイトル 「akka」
(いつも作品の下に花が飾られています。そこの生活の結びついた空間が出来上がっています。)
2001.設置/
「ステージファースト用賀」
東京・世田谷区[主催/
株式会社アーバネットコーポレーション] |
作品は、その田舎のアトリエから展示会場へ運ばれる。僕は展示すること自体より、個展や展示会などで、観に来てくれた人や手に渡った人たちの話が、とても面白いと思う。作品に対する新しい発見と反応に驚かされる。ある人家には、部屋のテレビやインテリアを押しのけ模様替えをして、自分の作品がその居間で、大きな顔してどんと据えてある。あたかも部屋の中にモニュメントでも置いたみたいだ。率直に言って自分には、部屋が狭く感じる。これもその人の空間感覚だろう。自分の作品を介して、人の感覚に触れるのは興味を覚える。なかには、小さな作品を心のお守り代わりとして、買い求めてくれる人などもいる。更には、文化事業に興味を膨らましてしまう人など様々。作り手の予想を軽く超える。以前設置した作品で、マンションのエントランスに置いたものがあった。そこの住人や管理人さんなどが、いつ行っても花を飾ってくれる(つい最近立ち寄ったときにもあった)。まるで、自分の作った作品が、お地蔵さんのような気がした。
作品を通して、目に触れる人の関わり方や予想が及ばない反応は面白い。自分の価値観や一般的な評価やステータスのような価値基準などの考えは、簡単に越えて、新たな価値観を見せてくれる。そこには、自分の作品に込めるメッセージや美しさに同調してくれている訳でもないようで、作品と初めて出会って純粋に何か感じたものが反映されているようだ。自分は作る側いて、なかなかそんな感覚に気づくことはできない。作品を渡して、置いてからの話が聞きたい。自分にはない新しい感覚を得ることができるからだ。アトリエでは、制作をたのしみ、展示などではエキセントリックな反応に驚かされている。これからも、ちょっとした驚きを期待し、またアトリエで彫刻を作ってゆく。田舎のアトリエと制作と展示空間での人々、自分にはそんなサイクルがある。
●国松希根太(彫刻家/文化女子大学室蘭短期大学
専任講師)
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あなたと二人宇宙で迷子/2006年 |
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星の上/2006年 |
昨年開催された環境芸術学会第6回大会の札幌メディアパーク・スピカでの発表では、円形の大きな空間の中での作品展示という事で、今までとは少し違う展示方法を自分なりに試み大変勉強になった。自分のアトリエで見ている時の作品の大きさと、大会前にスピカの会場を見て、そこにその作品をイメージしてみた時の大きさでは、当たり前かもしれないが、かなりの差があり、作品をどう見せれば空間に耐えられるだろうかと考えた結果、スピカの床が、グレーに塗装されたコンクリートだったので、その色に近い砂を浜から運んできて作品の支持体を隠し、大きなスケールで見たときの浮遊感を強調してみることにした。しかし、展示し終えてみて、やはり作品が小さく感じてしまっていたし、砂の使い方も自分の中
で100%ではなかったが、どうしようかと考えて挑戦してみたことはすごくプラスになったと思っている。それと同時に他の人の作品の見せ方や、様々な研究や発表を見られた事、多くの人と交流出来た事が自分にとって新鮮だった。
自分は彫刻を制作していて、作品一点一点に表す自分の思いと、その作品の置かれる周りの空間という二つの事が、綺麗に響きあう事が理想であると思っているが、最初から空間を意識しすぎて、作品をそこ(空間)に合わせて考えてしまって、作品自体の力が弱くなっていると感じることもあるし、作品のことだけ考えていて設置される空間の事を意識しなければ、良い見せ方は出来ないと思うのでそのバランスが難しいと思う。これからも様々な環境での自分の作品の見せ方を探って行きたいと思う。
http://www.kinetakunimatsu.com
●志村雄逸(光環境造形家/(有)アートマンスタジオ代表)
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国瑞汽車研究開発センター断面図 |
私の作品はネオン管、光ファイバー、アクリル、ガラス、・・・等。様々な光学素材を組み合わせ、『光と動き』をテーマに作品を制作しています。卓上の照明オブジェから、風/水などを利用したキネティックアートや太陽光を利用した作品まで、形態は様々に変化しますが、光の持つ特性や神秘性を表現できればと思っています
太陽光を利用した作品と言えば、古代よりストーンヘンジなど太陽光の動きを記録する為の遺跡が多く見られますが、今からちょうど4年前の2002年6月に台湾に太陽光を利用した作品を設置する機会に恵まれました。北回帰線が通っている台湾では夏至の日に太陽がちょうど真上を通過します。その『年に一度だけ』真上から照らす太陽光を利用して龍の図柄を天井に映すと言うプロジェクトです。
施主は国瑞汽車の研究開発センター(KDRC)
建築設計は清水建設(国際設計部)
アートコーディネートはAIM(学会員:前川氏)
その作品『昇龍運開』の概要はこの紙面では表現しきれませんが、当時のデイリーNNA(台湾/日本語版)
の新聞記事が『夏の日のドラゴン』という上手いタイトルでこの状況を詳細に説明しているので一部記載します。
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天井に映し出される龍の画像 |
『今年の夏至に当たる6月21日は、中歴市にあるトヨタ自動車の台湾現地法人・国瑞汽車の研究開発センター(KDRC)
の天井に、直径4.3メートルの見事な龍の図が映し出されました。龍の図は、今年4月にKDRCが運営を開始した際に、『科学技術』『人文科学』『自然環境』の同センターのコンセプトを具現化する目的で作られた。テーマは『幸福をもたらす龍』で、造形作家の志村雄逸氏がデザインした。
センターの天井に設置された長さ1.2メートル直径30センチの筒状のシャフトを通った太陽光線が、天井から吊り下げられた鏡に当たり、鏡に描かれた龍の図柄が天井に投影される仕組みで、シャフトと鏡の位置によって1年に1回夏至の日の正午にだけ、完璧な姿の龍の図が映し出される。
当日は午前11時40分過ぎから外郭の弧が右側から現れ始め、1秒間に1.5センチのスピードで龍の像が広がっていった。そして正午直前、赤い玉を追う完璧な龍の画像が映し出されると、同社の職員や来賓から一斉に盛んな拍手があがった。国瑞汽車では、今後も毎年夏至の日に龍の鑑賞会を開く事を計画している。・・以下省略』
4回目の今年も天候恵まれて、赤い玉を追う龍の図が映し出されることを願うばかりです。
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猫目月夜亭 |
また、今年の6月に『猫目月夜亭』という月夜をテーマにした創作料理店の空間設計をしました。小さい空間ながらもノスタルジックなインテリアと照明計画で落ち着ける空間に仕上がっています。場所は吉祥寺駅から徒歩3分なので台湾に行かずとも体験できる空間です。興味のある方は、ぐるなびで『猫目月夜亭』を検索して下さい。
http://best.gnavi.co.jp/kanto/comment.php?shop_id=g965202
http://www.imagegateway.net/scripts/WebObjects.dll/CIGPhoto.woa/wa/a?i=I0JmMJRDqr
最近は建築空間に設計段階から参加する機会が多くなり空間と一体化した環境作品的なものも多くなってきました。とはいえ、作品の最初のイメージは実に単純な科学の実験のようなものからスタートしています。制作過程では様々な光源や素材を使って反射、拡散、透過の実験を試みながら作品の形態や構造を決めていくわけですが、光の表現は自然界のイメージをいつも意識しながら制作しています。
●相澤孝司(神戸芸術工科大学プロダクトデザイン学科 助教授)
「たかがPETボトルされどPETボトル」
使用済みPETボトルのライティングオブジェ制作展示のプロジェクトを手がけてからもはや6年目になる。きっかけは、阪神淡路大震災の復興関連イベント「ファンタジアこうべ」のメインオブジェ制作展示からである。この頃、PETボトルが市場に出回りリサイクルの問題が新聞に出始めてきたころだったか、回収したPETボトルをすぐにリサイクルするのではなく、一時的に光の造形として制作展示することは、あらたな期待や可能性が感じられた。このイベントでは、県内の高校、近隣の小中学校も同じく制作展示した。大学と地域における交流につながるとの思いから、現在まで本学の近隣会場で小規模であるが継続的にイベント開催している。昨年からPETボトルを三角形につなげたトラス構造の作品を共同制作した。まず初めは、本学の学園祭正門ゲート、その形状を展開した「はままつ冬の蛍フェスタ」では、約3000本のPETボトルによる通り抜けできる水晶宮を駅前広場に制作展示、LEDの屋外投光器で多色カラーライティングで演出した。
今年の5月には、神戸まつりの関連イベントで光の輝き「KOBEひかりの水族館」をメリケンパークの歩道橋に卒業研究ゼミ学生たちと共同で制作展示した。水族館の水槽部分にあたるアーチ状のフレームユニット(1000Rの半円形H:1600,
D:600/mm)10台20メートルを大学が担当し、そのフレーム中に地元小学生と高校生たちが様々な海の生物をPETボトルで制作した。ペンギン、タコ、カメ、クラゲ、ヒトデなどユニークな作品に海からの風が吹き、ゆらゆらと泳いでいる様子は、何ともほのぼのとして見るものを楽しませてくれる。「たかがPETボトルされどPETボトル」、デザインの方法でけっこう大人も子供も楽しめる作品になる。また、光造形の教育、環境の教育、地域社会と大学など、教育という視点が、本プロジェクトの本来の意味なのかもしれない。各地で光のイベントがどんどん広がって行くような思いがする。光やあかりは人を集める力を持つのか、今後も使用済みPETボトルのライティングオブジェ制作展示のプロジェクトを見守って行きたい。
●柿埼 熙(美術家)
「わたしの制作」
冬の日本海、石狩浜を散策すると、砂浜に寄せる波が引くその一瞬、静止した海水が砂に凍てつき綺麗な氷の弧を作る。日本古来の模様「せいかいは青海波」のような形が現れては消え、消えては現れる。厳寒の中、波打ち際を歩いてそんなことを発見して無性に楽しくなる。
いつの頃からだったのだろうか、気付くと自然と親密な間係になっていた。野鳥と出会えるのが嬉しくて、四季を問わず森を訪れるようになった。妻は勿論、娘や息子とともに探鳥会に参加した。小学校低学年で遊び盛りの子供達にとってはいい迷惑だが、子供達の名前が「そら空」と「かい海」だったので、親の都合で自然と深く付き合うのは、生まれた時からの宿命だったのかもしれない。
当時の私は、「存在」をテーマに石膏や木材、帆布や砂を素材にコンセプチュアルな立体作品を発表していたこともあって、自然観照を通して感じた概念を作品の中に取り込もうとは考えていなかった。自然を取り込むと作品が甘くなるような気がして、できるだけ双方の距離をおくように努めていた。しかし、そういう私の思いとは裏腹に、制作活動に徐々に変化が見えてきた。
自然は、四季折々たくさんの情景を見せて私を誘い、こわばった感性を解きほぐしてくれた。とりわけ北海道の5月の森は、青や瑠璃色の鳥、黒に黄色の鳥、頭に菊の花びらの一片を頂いた小鳥や日の丸を喉につけた鳥などが一挙に訪れるので大忙し。萌え始めた新緑の中で、フルートのようなクロツグミの恋の囀りを聴きながら朴の芽吹きに立会えた時などは、天啓を受けてその場に居る至福を感じる。また、オオジシギという鳥が、尾羽を広げ辺りの空気を切り裂き急降下する、繁殖のための勇壮な求愛行動を中空で繰り広げるその姿を見ると、二つの半球を跨いで数千キロの旅をして渡ってきたエネルギーが伝わり、勇気を貰ったような気がする。胎動する春の恩恵は尽きることがない。
湿原のヒツジグサの種子は、水上に浮いて広がり、一日後に水底に沈むという。林縁のガガイモの白い絹毛の種子は、風に舞いながら飛んで生命を伝える。種子の物語との出会いはいつも新鮮だ。風がそよぐカラマツ林を歩くと、グスタフ・クリムトの「ダナエ」のように黄金色の雨となって松葉が降る。夏も秋も、自然は飽くことがない。
現在、自然に触れた体験を通して得た感動が、私の制作を促す原動力となり、「林縁から」或いは「親密な森」と題して、木を素材に立体造形の作品を発表している。これからも暫く森や林を巡る旅が続きそうである。
●小川智彦(ランドスケープアーティスト)
長らく作家としての名刺を持っていなかったのですが、環境芸術学会の札幌大会の打ち合わせやその他諸々、ここ最近人と会う機会が増え、その度に住所、電話番号やメールアドレスを書き記して頂くのもなんだか申し訳なく思い、今名刺を作っています。
大体名刺には「造形作家」とか「彫刻家」とか自分を言い表すタイトルが入ってる訳ですが、ここが僕にとっては難しいところ。いつも自分のやっていることは何と言い表せば良いのかと悩んでしまいます。芸術のジャンル分けは無意味だ、というのは簡単ですが、やはりジャンル分けというのは必要があって、また必然性をもって出来てきているモノですからここは真剣に考えなければいけません。
で、自分の作品のことを考てみました…。
「彫刻家」?これは誤解を与えます。これは自分でも未だに答えの出ない宿題があって、友人の作家に海の写真を切って再構成した作品を見せた時のこと、(作品は写真というメディアを使って時間の流れと風景の変化、それから記憶の関わりを扱ったものでした)?彼は一言 「これは彫刻だね」と。成る程そうかも…。僕の作品の中には彫刻と言えなくはないものもあります。でも全部ではないし、第一本人が彫刻作品を制作しているつもりではないのでダメです。
「メディアアーティスト」?僕はビデオ作品も作りますが、メディアアーティストと言うほど僕の作品はハイテクではありません(むしろローテク)。おこがましくってとてもメディアアーティストだとは言えません。
「環境芸術家」?僕は環境芸術学会の会員ですから、これは嘘じゃないんですが、どうもこの言葉もしっくり来ません。恐らく環境芸術という言葉は「environmental
art」の訳語だと思いますが、「environmental art」自体がアースワークやランドスケープデザイン、環境を主題としたパフォーマンスを含み、幅がとても広い。それに「僕、環境芸術家です。」なんて言ったら十中八九「じゃあ環境問題を作品で表現しているんですね。」と返されます。間違いではないが的確な表現でもない。なにより環境問題に取り組む芸術家という誤解を解くのがなかなか大変。
もともと僕は彫刻作品を制作していましたが、幾つかのきっかけがあって、いったんそれを捨てました。表現方法を決めたりしないで、テーマごとにメディアを選び、その時の状況が導くテクニックで作品を作ろうと思ったのです。それを決心した時から今に至るまで、ずーっと気になっているのはイギリスの一部の美術作家達がやってきたことです。彼らが「ランドスケープアーティスト」と呼ばれていることは彼らの作品を知るよりもずいぶん後のことです。彼らの作品の多くは、目に見える形はことさら風景と直接結びつけられるものでないとしても、制作過程で無くてはならない要素と作品が指し示すものは、風景と自らの体験から得たものです。
機会に恵まれ、イギリスのとあるギャラリーを訪れ、ポートフォリオを見せたことがあります。そのギャラリーはとても小さく、ランドスケープアートとミニマルアートを特に熱心に取り扱っていました。
僕のポートフォリオを見たオーナーは、「成る程。君もランドスケープで作品を作っているんだね。」と。
前述のギャラリーオーナーにお墨付きをもらったという訳でもありませんが、「Landscape
Artist」と言われる作家達には共感を覚えるし、自分としても納得がいく。僕のどの作品も風景はとても重要な要素です。日本語での上手い言葉を見つけられないのが残念なところですが…。
と言う訳で、僕は「Landscape Artist」を名乗ろうと思っています。
●仲嶋 貴将(彫刻家)
昨年、個展の為、東北に滞在する期を得ました。場所は宮城県気仙沼市です。
私はその1年前に現地視察も兼ね初めて気仙沼市を訪れました。漁港の町、とのイメージ通りで美しい海、近隣には緑なす山々にもかこまれとても感激しました。そして人々の温かさにも触れ贅沢で豊かな時間を過ごし、まるで少年の様に車であちこち走りました。
現在住んでいる札幌市に戻りその余韻に浸りながら、ふと考え込んでしまいました。恐らく多くの方々が北海道に対して抱くイメージの大半は海や山といった大自然だと考えます。確かに緑豊かで海の幸、山の幸の恩恵に与かっています。
私個人の感じ方でしかありませんが札幌市に限らず自然の復興作業が多く目にとまります。皮肉にも経済、文化の発展と比例する建造物の乱立、更には天候も含めた環境緒要因下の自然へのダメージ、損失が多いのも事実です。故に人為的にでも自然を作る事は言葉本来の「自然」への渇望とも言えるかと考えもします。
では私に何が出来るのだろう、との自問いに私はまず「己の中の環境を見直す」と答えます。日々の生活に追われる中で月を見上げる事も少なくなりました。毎日足元の草花の変化を楽しむ余裕も今は持ち合わせていません。何故東北一帯を周りそこで出会った環境を素直に美しいと感じられたかと言うと、恥ずかしながら東北に関する知識を持ち合わせていなかったからかも知れません。時に知識は邪魔なのかな、等と都合よく考えもします。そして「環境」にも色々な解釈があるな、と昨今はよく思います。
この度の北海道札幌市で行われる環境芸術学会第6回大会のテーマは「環境・自然/メディア・芸術」です。北海道には未だ手付かずの大自然が多く残っていますし知床が世界自然遺産に登録されたのは記憶に新しいものです。札幌市にも自然の素晴らしさを芸術の力を借りてより高めた場所は多数あります。本大会で札幌の自然と芸術の融合を満喫していただければ、と思います。そして時計を持たず緑に漂う匂いで食事時を感じた時代を是非想いだしてみては如何でしょうか。
●太田益美(彫刻家、m+oss
Itd. 代表)
最近の大規模な再開発地区の一つといえば六本木ヒルズだが、その中に毛利庭園と称される場所がある。公開空地の人工池として見過ごされがちだが、この地が六六地区として開発される以前にあった江戸時代から続く毛利家の屋敷の池の名残である。現在のにぎやかな姿からは想像できないが、赤穂浪士が打ち首になった場所だとか、誰それが産湯を使ったとか、色々と言われのある場所である。
15、6年ほど前になるが、コンクリートで固められる前のこの池で「3ヶ月間で、変化し増殖するオブジェ」と題し、作品を作った。当時、インスタレーションという言葉はあまり一般的でなかったが、3ヶ月という時間自体、空間自体を作品化しようとしたものである。
古材をすこしずつ組み上げていく作品は、3ヶ月で一度撤収されたが、また翌年には庭園全体を使い、水面に発光体を浮遊させたり、サウンド・アーチストと共作するなど、様々なものを付加しながら、大規模な演劇イベントの舞台装置に発展した。2ヶ月間にわたりダンス、舞踏などのパフォーマンスが連日行われ、それらとのコラボレーションは、うまく地勢を掘り起こし、放置されていた庭園自体が「特別の場所」となった。当時、ペンクラブの会合で東京に滞在中の故スーザン・ソンタグ氏が会場に現れ「良い場所」と評されたことも忘れられない。
先日、地方の江戸時代から続く旅館の改築の相談をうけた。集客力が落ちた旅館を再生しようというのである。マスタープランを作るために仲間のプロデューサー・建築家と一緒に、学生時代一度訪れたことのある白壁で有名なその街を見にいった。一部は風致地区として保護され、テーマパークのように全くそのたたずまいは変わっていなかったが、地区の線引きより離れると産業道路が街を縦断し、以前の景色とは別のものになっていた。風致地区からはずれたこの旅館は、2つの時間の狭間で独自の再開発を迫られているのである。
その場でわたしたちの提出したプランは、旅館が劇場のようなものに変容していくというような、やや抽象的なものになったが、すぐできる具体的な施策を期待していた施主も時間をかけて変えていくことに賛同した。具体的作業はこれから組み立てていくことになるが、美術作品を介して人々のパワーを集めること、場に作用して、景観自体を変えていくこと。にわかには結果はでないが、この小さなプランがどう発展し、この地が「良い場所」になっていくかが楽しみである。
●山崎 真一(壁画、m+oss
Itd. 代表)
壁がくれた出逢い
「ちょっと手伝ってくれない?」
大学時代に先輩から誘われてレストランの壁面に絵を描いたのが、わたしの「壁」とのはじめての出逢いである。店がオープンしてから、恵比寿にあるそのシーフードレストランに何度か食事に出かけた。自分がかかわった空間のなかでする食事は、少しだけ落ちつかないような、けれどじっくり見わたしたいような、少し不思議な経験だった。
その後わたしは、建築物に興味をもっていたこともあり、本格的に壁画に取り組むようになった。壁画の場合には、現場で制作をすることもあれば、アトリエで制作することもある。アトリエ制作の場合には、実際にその場に絵がおさまるまで、不安と期待で落ちつかない時間を味わうことにもなるが、一方で、ハラハラドキドキ、いちばん興奮する瞬間だ。また完成するまでに、多くの人たちと接することが楽しくもある。
最近の仕事では、ハイアットリージェンシー福岡・ボールルームのリノベーションに携わった。ホテルがオープンして11年目になる昨年末のことだ。当初、光の入る軽やかな空間だった部屋を、あえて光をコントロールしてシックで落ち着いた空間にすることがリノベーションの眼目であった。そこで、壁面にも重厚な絵が求められた。
建物の雰囲気は、大きく時代を反映したものでもある。バブル期には、公共施設でさえ贅沢に空間をつかった絢爛豪華なものが多かったが、現在は、むしろ静謐な、くつろぎを感じる空間が好まれるようだ。ホテルとしての本来の意味、ホスピタリティ=「もてなす」ということにより近い空間づくりになってきたように思う。
建物は、そこで働く人への影響も無視できない。手入れもされないままに老朽化した建物はさびしい気持ちを呼び起こすし、いくら古くても、人の手がかけられつづけた場所は気持ちがよい。
今回、ボールルームに絵がおさまったとき、従業員の方々が集まってきてリノベーションに大きな期待を寄せていることが伝わってきた。今後、彼らの手でどのようにこの空間が生き生きとしたものになり、出逢いの場が生まれるかが楽しみでもある。
これからわたしが結婚式でこのボールルームを利用する機会はあるまいが、しかるのち、ふたたびこのボールルームを訪れることが楽しみでもある。
●田川 郁代(造形)
今年の7月、『アートを我等に』という本を出版しました。これまで街中で出会うアートたちに惹かれ写真を撮りためてきましたが、それは美術館の館内だけで展示される作品のみがアートではないとの思いがあったからです。神戸という私の住む街に場所を限定し、設置された時代、その背景、時間軸の関与など、街中のアートたちを様々な視点から眺めることで、アートのもつ意味を考えてみようと思いました。それは私自身のアートに対する問いかけでもありました。 ここでいうアートとは公共の場所に設置されているという意味で、いわゆるパブリックアートとよばれるものです。そしてパブリックアートを追いかけているうちに、いつしかアートプロジェクトとよばれる動向とリンクするようになりました。この本で取り上げた例でいいますと、震災後の復興地として開発された「HAT神戸」地区における「アートファニチャー計画」がそれです。一つの作品がその独自性を主張すべく設置されるのではなく、意図された街づくりの一環として、場所との関係性において進められた「アートファニチャー計画」に、アートが地域社会と関係を結ぼうとする流れが見えるように思います。
現在、日本各地で様々なアートプロジェクトが展開されています。「越後妻有トリエンナーレ」のような大規模なものから「佐久島アートプラン21」のように過疎の小島で展開する小規模なものまで、そのあり方も様々です。しかしアートがそれぞれの土地や社会を照射しようとする試みにおいては、同じように思われます。私は今後、そのようなアートプロジェクトが地域にどのように影響していくのかを、見ていきたいと思っています。
●馬場美次(ライトアート・丸茂電機)
店舗空間の光から、舞台照明、ライトアートなど、いろんな面で光にかかわる仕事をしています。
「光」はそれ自身ですでにメッセージ性を強く持っている得意な素材と感じます。ただ単に照らすということだけでも、そのシュチュエーションによっては感動的な空間はできあがります。これは、もともと人間はの頭脳のどこかに、「光」を感じる特殊な回路が記憶されたており、「光」を見るたびにそれにスイッチがonになり、特殊な心理状態になるのではないかと考えています。その特殊回路がonとき、人は「わくわくしてとても幸せなに気持ち」の心理状態になっています。冬、クリスマスの時期に盛んになるイルミネーションは、その代表格ではないでしょうか。ただ単に、小さな電球がたくさん木々に巻き付けられているだけなのですが、小さな光がたくさんチカチカしていると、なんかとっても幸せになった気になります。最近の携帯電話もイルミネーションの様にきれいにぴかぴか光ります。これもそのスイッチをonしてくれます。
私の中での仕事の中心にあるのが、光を使った作品表現です。ここのところのは「光」を使い生命を感じさせる作品を創っています。前述した、光の感動スイッチのon/offは究極のところ、life/deathに繋がると考えます。生きている印それが光り。光っている物を見ると命を感じる→命を感じることで生命維持への安心感が生まれる→何となく幸せに感じる。まったくもって身勝手な解釈ですが、最近はこれを信じ切っています。この題材の作品は、紙とLEDを材料にしたユニットをたくさん作り、無造作に床に転がしたり、壁に並べたりします。そのゆっくり点滅するLEDはlife/deathを表現し、同時に光の感動スイッチのonにもなっています。
最近は映像を使った作品も増えています。月や空などの大きな物を長時間動画撮影し、無機質な小さなキューブの中に映像を映し出した、空間と時間の大きさのパラドックス性を手法にした作品表現です。これらの作品のコアも、月や明るい空などの「光」です。映像関連の表現では、芸大奏楽堂で上演された「賢治宇宙曼荼羅」舞台映像を担当しました。技術の進歩に伴い、映像関連機材はここ数年格段の進歩をしていますが、舞台機材もその影響は強く、今までに無い機材と手法がどんどん取り入れられています。この時に使用した機材は映像表現と舞台照明を一体化し、映像に時間的制御と動きを与えることのできる地味ですが革新的な機材です。大型プロジェクターを使い、映像に舞台進行に合わせた時間と動きを与えた演出をしました。
「光」は感動のスイッチをonできる、作家にとっては好都合な素材です。ハードウエア面などちょっと扱いにくい点もありますが、それを実現できる技術も日本にたくさんあります。ここのところ、これからも「光」を使った作品を続けていくつもりです。
●伊坂重春(建築家、インテリアデザイナー)
<FRPハニカムコアパネル>?新しい素材との出会いと開発、デザインの可能性について―
昨年ハニカムコアハウスという住宅を設計した。この住宅設計の与条件の一つに、同居する猫の明るい居場所の確保と猫の爪のたたない床の素材を使用するという事があった。光を透過し且つ平滑面で猫にも優しい素材であることが求められた。既成の素材に合致するものがなく、新しい素材捜しを初期の基本設計時から開始した。MDF等と同様に下地材としてのハニカムコア材は、コア材故に表面には現れない見えない材料であが、その断面形状の面白さ、多様な表情を持つこの素材を内部構造が見える仕上げ材にならないものかという考えが潜在的にあった。
ハニカム材は、外壁パネルや飛行機、新幹線のボディーなどに多く使用されるため大手建材メーカーに属すか非鉄金属メーカーで製作することが多く、このような工場の二次生産品でしかも半製品化状態のものは設計者の意図が及ぶものはないと諦めていた。しかし、新日本コア(王子製紙の関連会社)と出会い生産工程のなかで小ロットでも人の手が介入する余地があることが判明しこの素材の開発が可能になった。
○素材の検証と素材特性
コア形状は光の透過率の高いロール状(円柱状)であったが既製パネルはこれにアルミ版やプラスチック樹脂をサンドイッチして完成品となっている。今回はこの面材(仕上面)にポリエステル樹脂と共にガラス繊維を流し込み、透光性を重視した仕上げを目指した。この素材特性として第1に軽量であり、極めて大きな耐荷重を許容することができる点があげられる。(サイズは
2.9M×10Mから切り出せるフリ?サイズで厚みも15.5o×70 oまでの選択が可能)
又FRPはガラスの約半分という低い収縮率を持ち更に断熱性能にも優れるため陽除けの役目も兼ねて使用した。
小住宅にも関わらず新素材の透光性FRPハニカムコアパネルが実現したのは建て主の英断と製造メーカー新日本コアよるところが大であった。この住宅では床、家具、建具、照明などロールの形状に合せてスケールの異なる部位に使用したが、その後舞台やTVのセットの床にも試験的に敷き面白い効果があった。又、独自のパネル式家具も試作した。この素材をしばらく追求したい思いであるが、会員の皆様にも是非この新しい素材の可能性を試して頂きたいと思います。
FRPハニカムコアパネル 連絡先/(株)新日本コア 担当:山田氏 TEL 048-793-2771
●熊井恭子(長岡造形大学)
テキスタイル雑感
テキスタイルアート、タペストリー、ファイバーワーク、ソフトスカルプチュア、ソフトファンクショナルワーク・・・。私が35年間近くかかわってきた分野は、このような、まだその内容をよくは知られていないカタカナ文字で呼ばれることが多い。織り造形、繊維造形ともいわれているので、少しは内容を理解していただけるだろうか。とても広い意味で布づくりといえよう。
1962年タペストリー復興運動の一環としてスイス・ローザンヌで開催された国際タペストリービエンナーレを皮切りに、70年代にはポーランド・ウッジで国際タペストリートリエンナーレが、80年代には京都で国際テキスタイルコンペティションが開催されるようになり100カ国を越える国から繊維による造形作品が寄せられ、参加した作家達の軽々と国境を越えた交流がはじまり、おもしろい布が次々に誕生していった。自国に古くから伝わる布づくりの伝統を繙き、現代の素材と感性で作り上げた作品の展示は壮観であった。多くの国で作家達は教育機関で後進の指導にあたり、現在のおもしろい布づくりへと展開していった。
国際展華やかなりし頃日本は空前のバブル期で、建築ブームと相俟って繊維の造形作品が建築空間に参加するようになった。糸や布に対する認識が少しは変えられたのではないだろうか。
その後の不況のなか、企画展も建築空間への参加も減少してはいるが。
3年前からバルト3国のひとつラトヴィアでタペストリートリエンナーレが開催されるようになった。タペストリー復興運動というより国興しといったところか。今後の展開が期待される。
人類は30万年程も前から糸や繊維に手を加え様々なものをつくってきた。布作りにおける編む、織る、組む、搦める、縫うといった技術は人類における最古のテクノロジーといって過言ではない。布は人類の衣食住全ての分野で、なくてはならない存在である。環境を形成する重要な要素といえる。しかし余りにも量が多くその有り難みが認識されていない。宇宙に行くにも、消防においても、生命を維持する人工血管でも布なくしては考えられない。またパリやミラノでのコレクションにおいてもテキスタイルの重要性を前面に出すデザイナーが増えていると私は感じている。やっとテキスタイルの時代がきたのだと私は早合点している。
今、面白い布が町に溢れている。テキスタイルの世界では毎日が革命なのだ。テキスタイルはおもしろい。人類は素晴らしい。
●柳楽節子(兵庫大学短期大学部)
昨年10月に神戸で個展を開催した。「版」と箱と靴を使った作品を制作し展示したが、制作と展示、共に
"試みる事" に終始した。何十足ものバレエシューズを買い、それらを入れる木箱を作り始めると部屋の中はたちまち木箱だらけになり、暫くの間、靴と箱とに向かって暮らす事となった。作品の出来具合いは別にして、私にとってはなんとも楽しい時間であった。5年前、同じギャラリーで個展を開いた時には、額装した版画作品のみを展示した。大学でリトグラフを習ったことがきっかけとなって、現在も版画で作品制作を続けている。
当時はまだ版画が今ほど盛んではなく、版画ゼミには大学院生や学年のばらばらな学生が居り、人数は少なかったがそれぞれが自分のペースで作品を制作していた。その後すぐに新しい版画工房が次々に建てられ、版画というジャンルの位置付けも変わって現在に至っているが、私が版画に惹かれた大きな理由の一つに版画工房そのものが大好きだった事が挙げられる。殺風景なコンクリートの壁と床、ガランとした部屋の中に大小の道具類が置かれた棚があり、プレス機が並んでいる。毎日その部屋へ行って作品を制作し、夕方に疲れて帰って来ても、結局心が一番落ち着く場所は版画工房だった。
卒業後、プレス機を必要としないシルクスクリーンの研究を友人と始めたが、ある画廊で刷り師の人と出会った事によってシルクスクリーンの技法の一通りを教わる事ができた。当時はまだ大学でシルクスクリーンの授業が行われていなかった事を思うと今さらながらに可笑しいが、それから後はシルクスクリーンで版画の作品を作り続けてきた。5年前の個展の内容はそれまでの作品を集めたものである。
最近、大きな意味で、自分自身のあり方と周囲、そして「美術」そのものを見直し、考え直す必要性を感じていることが環境芸術学会への入会の理由である。イメージの中の版画工房から外へ出て、周囲をよく知ること、そして
"試みる事" を怖れずに作品の制作を持続させる事が今の私の課題である。
●仙田 満(環境建築家)
創造性を喚起する社会システムを
今年5月末日で日本建築学会会長の任期を無事終わることができた。この時期はちょうど新しい世紀への変わり目であった。日本において建設・建築業自体が転換せねばならない時代において、数多くの課題に取り組むことができたことは、やりがいがあったと言える。
もともと私の専門領域は子どものあそび環境のデザインと研究である。近年の東京の超高層住居建設のように、建築も都市も子ども達の成育環境としてあまりにも貧困化している現状に対し、建築家としての責任を感じている。そのため、子ども環境学会を来年発足させたいと準備中である。この学会は建築、都市、環境デザインなどのハードの分野のみならず、教育、保育、心理学、医療までも含めて子どもの環境を考えようとする学際的な学会である。日本の子どもたちの問題だけでなく、国際的な学術研究団体にしたいと考えている。
デザイナーとしての私の仕事は、スポーツ施設の設計・デザインが多くなり、最近では上海のテニスセンターの設計競技において最優秀作品に選ばれた。中国では2008年に行われる北京オリンピックの施設をはじめ、近年多くのスポーツ施設、文化施設の建設にとりかかっている。そのほとんどが国際コンペ(設計競技)によって設計者が選定されている。日本と比較するとまだまだ工事費も安く、従ってデザインフィーも少なく、設計期間も極めて短いが、今後は日本の建築家、デザイナーが十分に活躍できる場があると思われる。
日本の建築設計の仕事も最近はプロポーザル、コンペという競争的な方法によって設計者が選定されるという形も多くなった。しかし、85%の公共施設はまだ設計入札で設計者が決められている。設計入札という、デザイン料の多寡で設計者を選定するという、外国でもほとんどやられていないこの乱暴な方法は、建築だけでなく、時に芸術行為にまで及んでいる。これを止めさせるために建築学会、建築家協会、建築士会、建築士事務所協会、建築業協会の建築系5団体で共同声明を出す準備を行っている。
創造性を喚起する社会システムに変えなければ、文化国家としての日本の将来はないと考え、またこのような社会システムを後の世代に継承してはならないと行動している。 |