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GNC時代を切り開く「神戸ビエンナーレ」
“日本のポップカルチャー&ロボットメディアアート” |
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| 大森正夫(京都嵯峨芸術大学) |
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現在、文化のメインストリームはどこにあり、どこに向かっているのでしょう。そして、アートの力はどのような姿で生きた都市環境に現れるのでしょう。
今秋開催する「神戸ビエンナーレ」では、1年前より国際コンペによって多様な作品を募集しながら逐次PRと説明も兼ねたプレイベントを展開しています。今回は、さる6月28日に行われた100日前プレイベント(シンポジウム&映像ライブ)を取り上げ、神戸ビエンナーレにおける「ポップカルチャー」への取り組みなどを紹介します。
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100日前シンポジウム
(兵庫県立美術館 ミュージアムホール)
パネリスト/
石黒周(ロボットビジネスプロデューサー)
銅金裕司(メディアアーティスト)
長谷川章(デジタルアーティスト)
コーディネーター/
大森正夫(神戸ビエンナーレ実行委員) |
■シンポジウム:「アートが加速する!ポップはカルチャー。」
「ファインアートだけでなく、市民生活に密接したサブカルに爽やかな光を当て、現代の息吹を伝えることが「神戸らしさ」の再認識に繋がる」と企画意図を矢田神戸市長に提言したのは3年ほど前のことでした。ところが、この「サブカル」という言葉はその言葉が指していたジャンルへのマイナスイメージとともに年々後退し、今やその代替語としての「ポップカルチャー」なる語が「日本の」という冠とともに新鮮な活力を与えるほどに台頭しています。
昨年設立された外務省のポップカルチャー審議部会も、ポップカルチャーを「一般市民による日常の活動で成立し、生活の中で使いながら磨くことで成立した文化」として捉え、「浮世絵、焼物、茶道などは、其々の時代における当時のポップカルチャー」と改めて定義づけています。また、「特に新たな時代の流れを切り開く最先端の分野で、広く国民に受け入れられ、強い浸透性と等身大の日本を表す思想性を有するもの」を文化外交へ活用するよう指摘しています。さらに、本年6月には内閣府も「伝統とテクノロジーが織りなす〈文化資源大国〉日本」として、「我々自身が日本の魅力を再評価し、評価軸を自ら世界に発信する」政策を提言しています。
しかし、神戸ビエンナーレはナショナリズムの強化と外交戦略として新旧の「日本のポップカルチャー」を取り上げるのではありません。いけばなや陶芸などの伝統的分野に加え、ユニバーサルデザインなどの福祉活動、おもちゃやスイーツ、町並みやパフォーマンスなど、市民生活に深く関与し、また関心を高めるべき多様なジャンルを芸術祭の中で一同に介し、再評価することが潜在的な文化力の活性化に繋がるのではないかと考えたからです。
世界の動向とは関係なく、「日本」と「ポップカルチャー」に抱くコンテンツイメージは、今なお多くの美術関係者には支持しがたいものでしょう。しかし、伝統になった芸術を継承する力と、新たに芽吹くカルチャー(はじめはローカルチャー、ゆえにサブカルチャー)を急速に発展(ハイカルチャー化)させ普及(ポップカルチャー化)させる市民の力にこそ「都市」と「芸術」を創生する可能性があるのではないでしょうか。
文化的ブランド力でもある「ソフトパワー」の時代に、「GNC=Gross National Cool」を世界に突出して産み出している国として「日本」が注目されている今、日本(の中でも進取の伝統を持つ神戸)で開催する芸術祭に日本の新鮮なアート感を結集させることは自然の成り行きともいえます。日本色が濃く、草創期の万博の如く総花的な今回の芸術祭は(地方という意味においても、ローカルチャーという意味においても)ローカルという位置づけに前向きです。
■サブテーマ「ROBOT/MEDIA/ART」
今、世界をリードする日本のコンテンツに「アニメ」と「ヒューマノイド」があります。この背景には日本の伝統的な芸術文化観と先進技術への美意識があり、モノを物として捉えるに終わらない特殊な自然観、生命観があります。
工学領域で発展しているロボットは、形状にこだわらないメディアとしての可能性や感性表現に関しては不得手です。また、センシングと機械制御というインタラクションが必須化しているメディアアートは、ロボット工学からは距離をおいているようです。そこで、次世代を担うメディアを媒介にロボットの先端技術力とアートの感性表現力で創造の可能性を探ろうと企画した「ロボットメディアアート・コンペ」を前提に、独自の切り口で活躍中の方々とパネルセッションしました。
次世代ロボット産業を牽引する石黒周氏は「robot→interdependence agent」で、ロボット進化の過程における日本の特殊事情、つまりアニメの存在を指摘した上で、工業用・救助用・癒し系のロボットなども含め研究開発が偏りがちなプロダクティブな側面の「不気味の谷」の課題を越え、一般化するためには感性の導入が必須であることを説きました。
植物学者でもある銅金裕司氏は「どうして、いま若冲か」で、若冲絵画の死生観や宮崎アニメの腐海表現に加え、自身が作品化している粘菌の特殊な生命現象を紹介しながら、自然natureに可能性を見出していく人為artの重要性を語りました。また、CMなども多く手がけていた長谷川章氏は「産業革命がなしえたものとは」で、世界が共通の標準時間をもち、ネット配信が普及し、その場その時の時間性を失った今、一瞬一瞬を大切にする日本の無常観やもてなしの心を伝える自身のD−K作品のような、時間の価値観を変革させるメディア表現が必要であることを述べました。
極めて先鋭的で刺激的な討論でしたが、印象的だったのはSF映画「バイセンテニアル・マン」でのロボットの生命観にパネラー全員が共感していたことであり、「自然」と「生」の大切さに創造の核心を見ていた点でした。
■映像ライブ「D−K(デジタル掛け軸)」
この映像ライブは、長谷川章氏が「宇宙の営みや生命のリズムを体感できる」という非連続データのCG画像をコンピューター制御した動画像として建造物などにプロジェクター投射するインスタレーションです。 この作品をビエンナーレのシンポジウムなどと併催しているのは、アート作品としての評価よりは地域環境の見直しに寄与できる活動に共感したからです。通りすがりの人が驚き楽しみ、既存の環境を再認識する作品に都市とアートの可能性を示したかったからです。神戸の街を再発見する「しつらい」として、さまざまな場所で展開しますが、これまでの見方と異なる故に、鑑賞者も戸惑いを隠せないようです。
今大切なのはアートに携わる者たちこそが真に自由に大衆の関心に身を寄せ、永きに亘って培ってきた美意識を再発見し、向かうべき理想を楽しく語り合うことでしょう。そのような場を「神戸ビエンナーレ」は提供したいと考えています。
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D-K LIVE
(兵庫県立美術館
南側外壁)6月28〜30日 |
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D-K LIVE
(湊川神社 )5月3〜8日 |
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